2024/10/17(木)
宇久高校にて、生徒さんに向けてお話をさせていただきました。
チエノワにとってとても貴重な機会をいただけて、本当にありがたかったです。
お店を2日間閉じてお時間をいただいたので、少しばかりご報告をば。
何をしに行ったのか。
”生徒さんに向けてのお話”というのは「人生の達人セミナー」という事業の一環です。
きっかけは、私が佐世保南高校に勤務していた際の同僚の先生のお誘いでした。
在職時には「人生の達人セミナー」の担当をさせていただいたことがあるので、どういった事業かはある程度把握しておりましたし、どのような”人生の達人”がリストに名を連ねているかもうろ覚えで記憶にはありました。
リスト外からの推薦も可能なのですが、リスト外からチエノワを取り上げていただくにはとてもとてもとても荷が重いと思い、少なくとも3回はお断りしてたと思います。
ただ、以前から宇久島に行ってみたかったですし、生徒さんたちに自分たちのことをお話しさせていただける機会は今後そうそうあるものではないのではないかという考えもよぎり…
そういうわけで「今のチエノワだからこそ話せることを一生懸命話してみよう」と、お話をさせていただく決意を固めました。
「リモートでやりますか?」とお店の営業に配慮してご提案いただきましたが、全校生徒8名の学校での講演だからこそ現地にお伺いしたく、無理を言って2人とも宇久島へ渡らせてもらいました。
何を話したのか。
そもそも「人生の達人」とは何かについて、改めて真剣に考えました。
「人生の達人」というと、なんとなく「すでに何かを成し遂げた人」であるとぼんやり考えていました。
でもそうだとすると、とてもチエノワは「人生の達人」ではないので、「人生の達人」を何か他の捉え方はできないものか考えました。
言い訳探しです。
そんな言い訳探しをしていると、マスターキートンという浦沢直樹先生(代表作20世紀少年などなど)の作品に「人生の達人」という言葉が出てくるようだということを知りました。
人生の達人はどんな時も自分らしく生き、自分色の人生を持つ。
(「MASTERキートン7」Chapter3 瑪瑙色の時間)
なるほど、そういう捉え方もあるのね
だとしたら、チエノワに至るまでの智恵氏の生い立ちや想いの変遷を一生懸命話せば、生徒さんたちにとって何か伝わるものがあるかもしれない
と、自分なりに「人生の達人」を再定義して、生徒の皆さんと同じく「人生の達人になるべく挑戦中の身である」というテーマでお話しさせていただくことにしました。
一生懸命に話す
話の主題は、智恵氏が生まれてからチエノワに至るまでのお話。
これまでの人生のどこにチエノワにつながる要素があったのか、なるべく生徒さんに寄り添えるようにしながら内容を準備しました。
ざっくりとまとめると、
<幼少期から学生時代>
・母の味付けや料理との向き合い方から受けた影響
・地域のコミュニティの中で見守られながら育った実感
・”熱”を持ってとにかく一生懸命になんでもやってた学生時代
<人生の転機>
・孤独な大都会での社会人生活の始まりと、その中で感じた飲食店の可能性
・”長崎で小学校の先生に”という夢の実現までの道中で、異業種に身を置いたことが今につながったこと
・それまでの多様な経験が活かされた高校教諭時代の進路指導
・祖父の葬儀で五島に帰省した際に、必要十分なものだけが揃ったゲストハウスで感じた”自分たちにとっての豊かな生活”
・コロナ禍でも「何ができるか」を子どもたちと前向きに模索できた経験
・家庭も学校も多忙で疲弊しながら、子どもたちも忙しくなる現状に課題意識を持った職員研修
こういった内容を、とにかく一生懸命に話していました。
(息継ぎするのを忘れてるくらいに一生懸命でした。多分、酸欠みたいになってたと思います。)
私たちは、チエノワを始めたばかりで何かを成し遂げたような段階でもないので、話の内容で生徒さんたちの心を動かすのは難しいと思いました。
また、ワークショップのような形式で活動をしてもらうようなことも検討しました。
が、テーマ次第では自分たちの経験値ではカバーし得ない範囲に話題が転がるとコントロールできなくなるくらいに私たちはまだ未熟ですし、何よりそういった方法で活動を行うのは現役の先生方が当然しっかりとされますし、退職した私たちが今更やれるものでもありません。
だから、もう一生懸命に話している姿が伝われば御の字という思いでした。
私たちは、たいていの話の内容は忘れますよね。
僕は智恵氏と昨日どんな話をしていたかさえ、ほとんど覚えていません。
とてつもなくお偉い方が、何かとてつもなくありがたいお話をしたのであれば、もしかしたら記憶のどこかにワンフレーズ程度には残るかもしれませんが、大抵のことは記憶に残りません。
でもなぜか、「その時どう感じたか」という記憶は残るものです。
楽しかった、つまらなかった、すごかった、面倒だった…
チエノワとして伝えたかったことは↑これら↑ということで、スライドにもまとめました。
きっとこれらの言葉を記憶に残すことはできなくても、智恵氏がとにかく一生懸命に(息継ぎすることさえも忘れて)自分の人生や想いを話している姿を目の当たりにしたら、これらを感じてくれるんではないかなと。
「あの人、めちゃくちゃ一生懸命に生きて、めちゃくちゃアツかったな。笑」
という感情の記憶は、残っていくんじゃないかなと思っています。
そうなってくれたら、宇久高校の生徒さんたちにとっては、何かポジティブな影響を与えられるんではないかと願っております。
伝えたかったこと
めちゃくちゃ意識高い系風に言えば「OODAループ」と言います。
(観察(Observe)- 情勢への適応(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act))
現状分析をしっかりと行なって自分自身の強みや適性、社会課題をしっかり把握し、VUCAとかナントカ言われるような変化が激しい現代社会に適応しながら、自分が「やる!」と決めたことを一旦やってみる。
上手くいかなかったら、もう一度現状分析を行なって、修正・適応しながら次のアクションへ繋げていく。
それらを情熱を持って続けていく。
的なことです。
言葉にしたらほんとにつまらないですね。笑
智恵氏が自分の半生を一生懸命に話す姿で、このことはなんとなくは伝わっているものと思っています。きっと。
とても貴重な機会をいただき、以前から行ってみたかった宇久島へ前日入りまでさせていただいて、ほんの少しだけ宇久島を体感することができました。
個人的に行ったことがある五島の福江島や上五島町、壱岐などとはまた違う個性のある場所だと思いました。
この機会を今後にも繋げていけたらと願っております。
お話の際に使ったスライドはこんな感じです↓
智恵氏がどんなお話をしたのか想像するのにご活用ください。笑
詳細が知りたい方は、直接智恵氏にお聞きください。
今回の件でお世話になった宇久高校の生徒さんや先生方、宇久島でお世話になったお店等の方々、「何を話すか」を反芻するのにお付き合いくださったLaboカウンター席常連の皆様、本当にありがとうございました。
またの機会がありましたら、改めて一生懸命に頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
チエノワ 寺澤祥